バイクと思い出の数々

昔の相棒

私の実家の倉庫には、古いバイクが一台あります。
今は誰も乗っていないのでエンジンをかけたときに正常に動くかどうかも怪しいのですが、かつては父親がそれを使ってかなり長い距離を旅してきたのだといいます。
ですが仕事で腰を痛めて依頼、長く姿勢を維持しなくてはいけないバイクに乗るのが大変になったということで、今は放置したままになっています。

放置するならさっさと捨ててしまえばいいじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、父親に言わせると「人の思い出の品なんだから簡単に捨てるとか言うな」ということらしいです。
その言葉を真に受けて母親も文句をいうことなく黙ってしまいこんだままにしてありますが、そろそろ倉庫の建物自体が老朽化して危険な感じになってきたので、いよいよバイクも手放し時かなという感じがしています。
ところで、父親にとってのバイクのように不要とわかっていてもなかなか捨てられないものというのはあるものですよね。
最近「断捨離」というものをできるだけ捨てて多くを抱え込まない生活をよいものとする考え方も流行ってきていますが、私はこれには全面的には賛成できない部分があります。

物の大事さ

確かに、不必要なものを捨てずに貯めこんで気がついたらゴミ屋敷、なんてのはいけませんがかといって何もかもをどんどん捨てていったのでは、その時に感じたことや考えたことまでもを一緒にどこかにやってしまうような気がするのです。
私は現在親元を出て一人暮らしをしていますが、手狭な賃貸マンションの中にはどうしても捨てられないものがいくつかあります。
その中の一つが小学校時代に使っていた勉強机で、今では机としてではなく不便な化粧台となってしまっているのですが、当時いろいろと考えながら勉強をしてきたことを思うと、引越しに邪魔だからとさっさと捨ててしまうのは惜しいような気がしています。

先日母親にその机のことを話したら「やっぱり娘ね」と父親のクセと比べて笑われてしまいました。
思うに、ようは自分で掃除や整頓ができないレベルにまでものを貯めこんで、どこになにがあるかも把握できなくなってしまうのがいけないわけで、実際には不要なものであってもそれを自分で管理できる程度であれば持っていても構わないということではないかと思います。
捨てられない性格の人を「ホーダー」と呼ぶという心理学の用語も最近知りました。私は将来的には自分の思い出をホーダーできる人間になりたいと思っています。